あなたは、5年も乳がんで苦しんだ。
去年のもう夏も終わろうとしているとき、
あなたは,死んでしまった。
あなたは、死ぬ2日前、私に死にたくないと泣いた。
こわいこわいと泣いた。
50歳のあなたは、年若い私に,死にたくないと泣いた。
そばに居てといって,他人の私に泣いて頼んだ。
私は病院の夜勤バイトで疲れていて、
まさかあなたが2日後に死ぬなんて思わなくて、
一通りの慰めしかできず、あなたと一夜を過ごした。
あなたは、おなかが張るの、苦しいの、と訴えた。
私は何回かガスを抜いた。
眠くてだるくて限界だと思いながら。
私が横になろうとするとあなたは、とても怒った。
子どものようにだだをこねて、起きていてと言った。
あくる朝、私はその日も朝からバイトだったので、不安がるあなたを残して、
“あと1時間もすれば、だんなさんがくるから”といって帰ってしまった。
あなたは、私が居なくなった、2時間後には意識がなくなり、そのまま死んでしまった。
いつも優しい人でいたい、曇りのない誠実な人になりたいと思ってきたのに
大切にしてきたあなたに何もしてあげられなかった。
私は、そうした私が許せなくて,泣き続けた。
あなたに会ったのはあなたが、私が学生として働いていた整形病棟に乳がんの骨転移患者として入院してきたときから。
それから社会のこと、危うく北朝鮮にいくところだった話やそして、当たり障りなくあなたは、私に“死”について論じた。
“唯物論者だって死はこわいの、宗教を持っておけば良かった”とも。
そして、癌になんてまけないわとも強がったりもした。
まだ20代の看護学生の頃の振り返り。
患者を人としては観る力はもっていたが、看護師としての知識でアセスメントすることも自分一人で看護する事も限界があること、何より今ならスピリチュアルペインにもっと働きかけて、ご主人との和解も取り組めただろう。
残される子どもさんの気持ちにも寄り添えただろうと思う。
あの時の涙が悔しさを力にして、学び実践してきた。
あれからも沢山の方に学び励まされた。あの人もあの奥様も,あの子達はもういくつだろうと思う。看護は多くの方に出会うことができて、心を美しくしてくれる仕事。
振り返れば思いっきり仕事ができたのも家事も育児も殆どをになってくれた夫のおかげ。
なにせうちの子達は保育園で泣くと、おとーちゃーんと泣いていたらしい。
もうすぐ末娘が出産する。
孫くらいは面倒をみることができるか。