もうすぐ田んぼに水が張られる。美しい風景だ。
私は、東市来の山奥で育った。
両親は山から発破をかけて,石を切り出し建築石にする石屋を営んでいた。
土地はないので田んぼも畑もなかった。
ゆいという集団があり、記憶では大正時代くらいの記録帳が残されていたので歴史のある集まりだったのだろうが調べたことがないので正確な意味が分からない。
それで、土地もない我が家だったがゆいに入れてもらい、子どもの私も農作業のお手伝いをさせてもらっていた。遊んでもらっていたが正解だろうが。
5月の末頃になると田んぼに水が張られる。もちろん肥料を蒔いたり色々作業はあるのだろうが子どもの私は水が入ったことくらいしかわからない。
そして6月には、田植え。ゆいのみんなで田植えがはじまる。
その時出されるのが”かからん団子“。手が汚れていても”かからんで“鹿児島弁の触らないで食べられるからこの名がついていると思い込んでいる。
この季節、眠っていた田んぼが生き返り新しい稲を植える。いつも私がワクワクするのは、この景色があるのではと思う。今は休耕田が目立つふるさと。コロナ下で農業が見直されているとニュースが言っていた。
うちの田舎の田んぼたちもワクワク田んぼになれたらいいなと思う。こんな話を次の世代にしてもこのわくわくに共感はしてもらえそうにないが、食料自給率は大きな問題。農業が成り立つ政策をしてほしい。あのふるさと再生のためにも。
そして、なぜ訪問看護を始めたかというと、このかからん団子を作ってくれた大切な近所のおばちゃんが田舎の高齢者施設で物のように寝かされていたのを見て、おばちゃんをあのふるさとで見たかったというのが原点。じゃあなぜ今度高齢者施設を作るの?
それは、心の行きかう施設づくりができるスタッフがそろってきたからと、地域と施設とが一体化できるような街づくりのお手伝いができる基礎ができていること、自分が元気なうちに組織的に大きな基礎を築きたかったからということもある。
看護の中でいつも心掛けているのは、いろんなことがあっても成し遂げてきたことがあり是認の言葉の花束をお渡しする看護をするということ。長くなったのでまた次に。
代表 加藤裕子